大東亜戦争 と特攻 この記事をきっかけに調べましょうー1 (入り口編)

/

/

/

/

/

/

/若い人の中には日本が七年間も占領されていたことを知らない人もいるかもしれません。私たちは長い間(戦後80年)GHQ(連合国軍最高司令官総指令部/最高司令官ダグラス・マッカーサー)の敷いたレールの上を歩いてきたのです。それはWGIP「戦争責任(ウォー・ギルト)広報(インフォメーション)計画(プログラム)」という「戦争についての罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画」です。

目的は膨大な戦力差がある中で善戦した日本に2度と立ち向かってくることないようにすることです。「宣伝計画」日本の現状で お解りでしょう教育とマスコミを抑えてしまえば政治も変わるわけです。戦前の日本の全否定、悪いのは戦前の日本人の持っている神道や武士道が根底にある。逆にいうと日本人の高い精神性に根差した人間としての強さが欧米列強の脅威だったのです。このプログラムが成功したのも日本ならではかもしれません。何しろ占領から解放されて70年以上たった今でもこのプログラム通り日本人の精神が解体されたままだからです。

さて早田さんは知覧特攻平和会館に行きたいとおっしゃいましたが、いきなり「特攻」というと敗戦礼賛主義者であるマスコミや特定三国が反応します。早速社会学者(自称)の古市憲寿氏が反応し早田さんを批判したのではなく「特攻隊の話題が出てくるたび都合よくその歴史を美化する馬鹿な人を批判している」と言い訳をしていましたが その「馬鹿な人」(私を含む)も それぞれ信念に基づいて個々の解釈で特攻をとらえているのです。それを否定して自分のほうが正しいかのようにテレビで語り両論を取り扱わず常に日本を貶(おとし)める報道をやめないマスコミの行為も 古き占領政策による洗脳の証左です。私も30歳以前は自虐史観に浸かって常に特定三国には罪悪感を持っていました。日本が一方的に悪いわけがないのに素直だったんですね。出張で半島へ行っても現地でペコペコしていました。

自虐史の始まりである東京裁判でも東条英機は堂々と日本の自存自衛のための戦争であると述べ、東京裁判で連合国側の判事を務めたラダ・ビノード・パール氏は日本無罪を主張しています。実際調べれば、この東京裁判こそ日本人に自虐の念を抱かせ責任をA級戦犯とよばれる7人の殉職者を出した茶番裁判だとわかります。占領明けに国会決議で「A級戦犯も公務死あって戦争犯罪人でない」(よって戦争犯罪人というものは日本に存在しない)となったはずなのに「敗戦礼賛主義」の皆さんは東京裁判の判決を受け入れたのだから反論するなと言います。

教科書でも特定の年を以て鎌倉幕府成立とはしないとなっているそうです。1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府と教わり当時は正解だったことも事実検証の積み重ねで変わるのです。教科書は書き換えられました。「敗戦礼賛主義」の皆さんは これも「歴史修正主義」というのでしょうか、後から探求した事実をもとに従来の常識に手を加え事実に基づいて日本が日本人が周辺国に堂々と言いたいこと言って良いではないですか。

前置きが長くなりましたが大東亜戦争について特にその殉死した英霊に対して関心がある人は、いきなり知覧ではなく先ずyoutubeで「凛として愛」を見ましょう。特攻に関心があれば「素子 鶴田浩二 朗読」で検索してみてください。関東圏やその周辺の人は靖国神社に隣接している「遊就館」に行きましょう。そして数々の遺書遺品と特に「花嫁人形」を御覧になってください。あなたが日本人としての心を持っているならきっと知覧へも生きたくなるでしょう。知覧は陸軍の特攻機地です。主要機は主に「隼」(一式戦闘機/中島飛行機(現スバル)) 近くの鹿屋は海軍の特攻機地です。主要機は言わずと知れた「零戦」(零式艦上戦闘機/三菱重工)です。特攻で陸軍海軍合わせ3000人近くが命をささげたのです。その他、特攻兵器として「桜花」(人間ミサイル」)「回転」(人間魚雷)「震洋」(人間爆弾ボート)などがあり「進洋」などは木製船、航空特攻でも木製複翼の練習機や水上機までつぎ込むのです。どうやっても敵に物的ダメージを与えることはできません。それでも特攻するのはなぜでしょう。様々な考えはあると思いますが私は「海軍飛行予備学生 西田高光中尉」の言葉に一つの真実をみます。「—この戦を果たして勝ち抜けると思っているのか」との問いに応えた言葉 「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです?おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに。」学鷲とは高等教育を受けた海軍飛行予備学生であり戦局を見極めたうえで特攻したわけです。多くの特攻兵はもちろん必勝の覚悟で必死の作戦を実行したわけです。(回天・震洋も遊就館に展示があります)

私は特攻だけを崇高な精神による行為とは思っていません。むしろ航空特攻できた人は少数の華々しい戦士であって特に南方に進出した多くの歩兵は敵を見ることさえなく飢えと病で亡くなりました。その一人一人を同列の殉死者として敬い誇りに思っています。後を託された私たちの「民族の誇りの欠如」はなぜ起きたのか。双方の立場からの事実に耳を傾け自分なりの真実を掴んでください。

既に開戦直前の昭和16年9月6日の御前会議にて 永野修身軍令部総長が語ります。 

「— 戦うもまた亡国であるかも知れない。すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起するであろう。—」耳が痛いです。その子孫として経済的には再起したかもしれないが祖国護持の精神は失ったままです。