墓碑 藤井一中尉

白黒の動画や写真を見ると次元の違う昔のことのようで実感がわきませんが、これを現在の技術で色を付けたり、アメリカが撮っていた色付きの動画や写真を見ると同世代とは言わないにしても時間を通り越して親近感を覚えます。

藤井一中尉(墓標では少佐)は職業軍人ですが学徒で動員した学生も赤紙で召集された人々も今の私たちと同じ心をもった一般人です。『五月廿八日は天国で家族と逢えた日』ですけれども『お先に逝って待っています』と二児とともに十二月の荒川に身を投げた奥様の気持ちや子供たちの恐怖を考えると胸が痛みます。

私は毎朝 藤井中尉が下宿していた場所から荒川までの道を通りますが最短でも7kmあります。一子ちゃんの手を引き、千恵子ちゃんをおんぶして夕方出かけたということですが、幼子の脚では3時間では着かなかったはず。道中 子供たちも大人しくはしていられなかったでしょう。そんなことを毎日考えます。昭和廿年五月廿八日の半年ぶりの再開では手紙通り一子ちゃんをだっこすることはできたのでしょうか。
瞑目合掌。

「最後の手紙 一子ちゃんへ」
         知覧特攻平和会館

冷え十二月の風の吹き飛ぶ日 荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。それまで泣かずに待っていてください。千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。ではしばらく左様なら。父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。では、一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴