生活の中に仕事があるのか、仕事が中心で生活が後付か?人の考えは色々だと思います。
ただ、生活も仕事も自己実現や表現の手段であることは間違いありません。

「そんなことはどうでも良い。ただ自然と時間の流れに身を任せていく」という生き方も否定しませんけれども。
どうせ生まれてきたからには、今居るポジションで自分をどう成長させるか。或いは短期の目標をどう持つか。
ゲーム感覚でも良いから、そんな考えを持って取り組んではどうですか。
「社長はそういうけど、そんな余裕ないよ」という声が聞こえてきますが、私は今だにそう心がけています。
若いうちは短い時間に何度も転職したりアルバイトしたりしました。恥ずかしい話、バブルだったこともあり、当時はいつもお金にとり憑かれていたのです、よりお金になる仕事をいつも求め転職していました。
誰でもお金が借りられる時代でした。返せなくなるなんて頭の隅にもない、毎年初任給が上がりベースアップもしていましたから不動産をゆとり返済で買った人が多かったのです。最初の支払いは少なく何年か後には所得も上がっている。と誰もが思っていました。かくいう私もバブルでした。ポルシェ911もメルセデスもBMWも所有しました。その後、失われた30年です。人生設計が崩れた人も多かった。大変でした。
そんなこともあって日本人が消極的でものの損得ばかり気にするようになったと思います。生まれた年代でここまで違うは不平等とも思えますが、私たちも一歩間違えば戦場に行くことになったかもしれないということを思うと失われた30年という言葉が人々を委縮させて消費させない社会を作ったのだと思います。今は欲もないし意欲もない人が多いです。(表に出さないだけでしょうか)子供がコスパが悪いなんていったら罰が当たります。子は宝(子宝)で貧乏人の子沢山という言葉もありました。そのころのほうがみな幸せそうだったのはどうしてでしょう。私たちは印象を操作されていないでしょうか。消極的に自分のためだけに働く人を増やそうとコントロールされている気さえします。
私は色いろな業種を経験しましたが、いつも長期、中期、短期の目標を立て、どうすれば実現するかを考えていました。また、手を抜くことだけはどの業種でも絶対にしませんでした。(あんちゃんと呼ばれてかわいがってもらいました) その経験、今生きてますか?と聞かれれば、どんな業種でも行動したなりの成果は出るということとと何をやってもどんな小さなところにも、やりがいや喜び(感謝)を感じられる体質になったと思っています。
普通の人が「つまらない、割りに合わない」と思うところにでも喜びを感じられれば「どんなところでも幸せになる」ことができるのです。


